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吉田松陰に学ぼう!ー真骨頂を発揮しよう!ー

2026.10.13

こんにちは、Shinです。

今回は「吉田松蔭に学ぼう!」というテーマで書きました。吉田松蔭は幕末、多くの維新志士を育てましたが、では、どうしたらそのように多くの優秀な人を育て上げることができるたのでしょうか?最近のニュースなどにも言及しながら考えてみたいと思います。

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最近でもないですが、ニュースなどを見ているとよく耳にするのは、どこそこの大学がレベルが高いとか、名門だとか、偏差値が高いとか低いとか、はたまた大学のランキングが上がったとか下がった、などのような順位付けしたような捉え方です。私はそこに少し違和感を覚えます。また学校や予備校などでの「おもしろい教科」、「おもしろい授業」というような、これも何かおもしろさのランキング的な捉え方もしかりです。 そうではなくて、その人がどんなことに興味を持ちどんなことに適正があるのか?というようなその人個人を個別に考えることが大事なのではないでしょうか?

つまり自分探しや自分にあっているもの、好きなものを探そう、ということですが、そう言うと反発する意見が出ます。その人が本当にやりたいこと、自分探しのようなものをしたって意味はないんだ、というような意見です。

繰り返しになりますが、自分の意見としては、自分のやりたいことを探すこと、自分探しは大いにすべきだと思います。そしてそのようなものは、自然に見つかる人もいますし、探さないと見つからないという人もいます。また探してもなかなか見つからない場合もあるでしょう。何かに夢中になった経験というのは誰にでもあると思います。それは決して勉強だけに限定されるものではないのかもしれません。勉強に限らず何かに挑戦するというようなことかもしれません。これがやりたいというものがあればよいけれど、なくても、これが大切だというものに取り組むということでもよいと思います。

以前読ませていただいた『本が読めなくなった人たち』という本の中で、動画メディアの登場で、活字を読もうと思わなくなってしまった人々が紹介されていました。昨今では、本や活字を読むことが普通でなくなったのだとか。ここで自分の私見を申しますと、活字を読めなくなったと言っても物理的に日本語は読める。それでも読まないのは、読む理由がないからなのだと思っています。必要性やその分野などに興味がそこまでないから、読む理由がないのです。そしてそれは決して読む能力がないとか、頭が悪いからではないのだと思います。

勉強についても同じことが言えるのではないでしょうか。勉強をする必要性や理由がないから勉強をしない。決して頭が悪いわけではないのです。例えば本を読めば読解力もだんだんとついてくるでしょう。しかし、本を読む理由や必要性がないから読まない。その結果として読解力がなかなか身につかないのだと思います。

誰かが何かの分野で成功をおさめているとします。でもそれはその人独自の方法で、またはその人の得意なことを日々努力をしていった末に到達したものです。それはその人だからこそできたことです。それを吉田松蔭は「真骨頭(真骨頂)を発揮する」と言いました。その人の良さ、得意なこと、これだと思ったことを日々研鑽していく中で、その人の真骨頭(真骨頂)が発揮されるのだと。それは決して何か成功をおさめるための方法論ではないと思います。その人本来の良さを発揮するということなのです。

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「学問は須(すべか)らく己が真骨頭を求得(きゅうとく)し、然(しか)る後(のち)工夫を著(つ)くべし。」(吉田松蔭)

[現代語訳]
学問をするなら、まず自分自身の本質や個性を見極めなさい。そのうえで、どのように学ぶかを工夫しなさい。

真骨頭(しんこっとう):その人が本来持っている本質や個性、独自の持ち味。
求得する:探し求めて、自分のものとして理解すること。
工夫を著す:具体的な努力や方法を考え、実践すること。
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そうして考えてみると、自分は何に向いているか、何がやりたいのか、ということを考えることも無意味ではないと思います。もちろん何か大切だと思うことのために取り組んでみることも意味はあるでしょう。

勉強だとしても勉強じゃないことだとしても、その人の良さを発揮することが、自分にも他人にも何かいい影響があるのではないでしょうか?

そして吉田松蔭が日本の都「江戸」ではなく、地方の山口県で、日本を変えるような多くの優秀な人物を育てられた理由は、すなわちその人それぞれの真骨頭(真骨頂)が発揮されたからなのではないでしょうか?そう考えると日本の名門大学のようなところに行くというようなことをしなくても、自分の良さを見つけ、もしくは自分を磨いて自分らしさを発揮していくということが重要なのではないかと思います。

昨今は、AIの研究がかなり進み、教育の分野でも多くの方がAIを利用し学習しています。個別最適化の学習をしたとしても教師の負担も昔ほどではなくなってきているのではないでしょうか。また以前では負担が大きくできなかったことが、テクノロジーの進歩で現代ではできるようなこともあるかもしれません。

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また江戸時代や明治時代のことでも今を生きる私たちにとって何か役立つことがあると思います。なにか気づいたことなどありましたら、共有していきたいと思っています。本文は以上です。

ここまでお読みくださりありがとうございました。




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