伊能忠敬に学ぼう!
2026.2.15
こんにちは、Shinです。
今回は、「伊能忠敬に学ぼう!」というテーマです。以前にも記事を書きました伊能忠敬についてもう少し書いてみようと思いました。それでは、いってみましょう。
伊能忠敬は、江戸時代、測量によって日本地図を完成させた人物として有名です。49歳で家業(商業)を息子に譲って隠居した後、天文学を学び始め、55歳ではじめて測量の旅に出かけました。それは「地球の大きさを知りたい」、という忠敬自身の夢を叶えるためでした。そしてその頃、蝦夷地(現在の北海道の大部分、樺太や千島列島を含む地域)にたびたび出没していたロシアなどの外国船のために「蝦夷地の正確な地図」が欲しかった幕府と思惑が一致し、旅の許可が出たのです。
そして18年という長い時間を経てついに日本地図を完成させたのです。
忠敬は「地球の大きさを知りたい」という自身の好奇心から、49歳で隠居してから天文学を学び始めますが、私たちもこのことは見習うべきだと思いますし、何歳になっても学ぶ意欲を持っていたいものです。
また、忠敬は日本を測量するために、高額な測量機具を自身で用意しました。家業である商業である程度の財産があったからできたことです。そして家業で土地の測量についてある程度の知識を学んでいたことも後に生きました。これらは、それまでやってきたことがその後、全く別のことをする時にも役に立った、ということで、それまでの積み重ねがあったからこそ、測量を始められたのです。私たちも何か別の目的で学んでいたことが、思わぬところで役に立つ、ということもあるかもしれません。
さて、忠敬が作成した地図は後にペリー提督も見たとされています。
嘉永6年(1853)黒船を率いて日本に開国を迫ったペリー提督は、幕府との交渉の傍ら、江戸湾沿岸の測量に精を出しました。日本と開戦した場合に備え、地形を把握するのが狙いだったそうです。
そしてペリー提督が最新の測量技術で作成した地図と伊能忠敬が作成した地図を見比べてみると、ほぼ同じものでした。
地図というのは優れた観測技術が必要で、そのような技術をもっている国というのは、当時、西洋の数カ国に限られると思われていたそうです。そのため、予想に反して日本の技術レベルが高水準なことに驚き、ペリーは測量をするのを断念しました。このことがやがてペリー艦隊と戦端を開かず無事に明治維新を行う原動力となった」とされています。
(樋口 清之著『日本人の育ての知恵―しつけと教育の源流を探る』PHP文庫)
(参考文献「家訓ニスト」ウェブサイト内「伊能忠敬」ページ
伊能忠敬自身の「地球の大きさを知りたい。」という好奇心から始まり、苦労して作成した地図がやがて、結果的に後の日本の窮地を救ったのです。
伊能忠敬は後々に日本を救うような偉業を成し遂げたわけですが、学んでいる時はまさか自分が日本を救うことになるなんて思いもしなかったと思います。自分自身の好奇心・興味・関心などのために学んでいたのだと思います。
何が後々役に立つか分かりません。また、もしかしたら学んだことが自分だけではなく他の誰かのためにもなるということもあるかもしれません。
しかしもしそうだとしても、(後に役立つかどうかはともかく、)まずはご自身の興味・関心のあることをどんどん学ばれたらよいのではないでしょうか。それが後に結果的に誰かの役にも立ったとしたらこんなに嬉しいことはないと思います。
また冒頭にも書きましたが、49歳から新しいことを学ばれたことは、「生涯学習」という観点からしましても私たちは伊能忠敬に学ぶことができるのではないかと思います。江戸時代の平均寿命は現在と比べても低かったとされていますし、インターネットもない時代で、新しく何かを学ぶことのハードルは今よりずっと高かっただろうと推測されます。
他方、現代ではインターネットや本など学習するためのツールや教材は豊富にあります。独学ブームもあり新しく何か学び始める方も増えてきているのではないでしょうか?先にも書きましたが、後に活きるかどうかは別として、まずはご自身の興味・関心のあることを学ばれたら何か楽しめるのではないでしょうか。
以上です。
